奈良時代には主に宗教儀式に用いられた香ですが、平安時代になると貴族たちが家伝の秘法に従って練香を作り、これを披露し合う「薫物合わせ」を楽しむようになりました。源氏物語の「梅枝」には、この薫物合の情景が「香どもは昔今の取りならべさせたまひて御方方にくばり奉らせたまふ、二種づつ合はせたまへと聞えさせたまへり・・・人人の心心に合わせたまへる、深さ浅さを嗅ぎあはせためへるに、いと興あること多かり」と表現されています。
その中で、香りが洗練されて次第に6種類に集約されていきます。これを「六種薫物(むくさのたきもの)」と呼びます。
後世の『後伏見院宸翰薫物方』には、それを季節になぞらえて紹介しています。
梅花 (ばいか) | 春 うめの花の香に似たり |
荷葉 (かよう) | 夏、 はすの花の香にかよへり |
侍従 (じじゅう) | 秋風蕭颯(しょうそう)たる夕、心にくきおりふしものあはれんて、 むかし覚ゆる匂によそへたり |
菊花 (きっか) | 秋、きくのはなむらうつろふ色 露にかほり水にうつす香にことならず |
落葉 (らくよう) | 冬、もみぢ散頃ほに出てまねくなる すすきのよそほひも覚ゆるなり |
黒方 (くろぼう) | 冬ふかくさえたるに、あさからぬ気をふくめるにより、 四季にわたりて 身にしむ色のなづかしき匂いかねたり |
その製法は『群書類従』(19遊技部)の「358 薫集類抄」「359 後伏見院宸翰薫物方・むくさのたね・五月雨日記・名香合・名香目録」に記録として残されています。特に『薫集類抄(くんしゅうるいしょう)』(12世紀末)には非常に詳しく配合が記されていますので、後世参考資料として重宝されました。
※『薫集類抄』をワード文書で公開しております。香道振興にお役立て下さい。
薫集類抄に見る六種薫物の配合(%) 小数点以下四捨五入
沈香 | 薫陸 | 安息香 | 簷糖香 | 白檀 | 丁子 | 甘松香 | 霍香 | 甲香 | 麝香 | 鬱金 | |
梅花 | 51 | 2 | 2 | 4 | 15 | 2 | 21 | 3 | |||
荷葉 | 52 | 2 | 1 | 18 | 2 | 3 | 18 | 4 | |||
侍従 | 54 | 27 | 3 | 13 | 3 | ||||||
菊花 | 47 | 3 | 23 | 3 | 18 | 6 | |||||
落葉 | 47 | 3 | 23 | 3 | 18 | 6 | |||||
黒方 | 47 | 3 | 3 | 23 | 18 | 6 |
原料一覧
沈香 | インドから東南アジアに産するジンチョウゲ科の常緑高木が埋もれ木となって数百年を経たもの。高級な物を「伽羅」と呼ぶ。あらゆる練香の基本となる香りを作り出すもの。 |
薫陸 | インド・イランなどに産する乳香樹の樹皮を傷つけ、しみでたヤニが固まって石のようになったもの。乳頭状のものは乳香と呼ぶ。レモンとカンファーの混ざったよう香り。フランキンセンスのこと。 |
安息香 | マレー半島などの東南アジアに産するエゴノキ科の常緑高木。樹液は黄色く、安息香酸および桂皮酸の樹脂エステルが主成分。バニラのような甘い香り。ベンゾインのこと。 |
簷糖香 | 中国南部で産する橘に似た簷糖樹の枝葉を煎じてつくったもの。糖に似ていて黒い。 |
白檀 | インドに産するビャクダン科の半寄性の常緑高木。心材は黄白色で芳香があり、古くから香料として珍重され、また、仏像や美術品の彫刻材とされてきた。 |
丁子 | モルッカ諸島に産するフトモモ科の常緑高木。花は多数の雄しべをもち強い芳香がある。つぼみを乾燥させたものを形状に模して丁字、または丁香と呼ぶ。紀元前からギリシアや漢に知られ、日本では正倉院御物にみられる。クローブのこと。 |
甘松香 | ヒマラヤ地方に産するオミナエシ科の多年草。根茎を乾燥したものは芳香があり香料とする。 |
霍香 | フィリピンに産するシソ科のカワミドリを乾燥させたもので土臭い香りがする。パチュリのこと。 |
甲香 | 現在はモザンビーク産のものが多い巻き貝「赤螺(あかにし)」などの蓋。酒に一晩浸け、火であぶって粉末にする。練香に混ぜることで香りが長く保たれる「保香」効果がある。 |
麝香 | ジャコウジカの性的分泌物を貯蔵する袋。現在はワシントン条約により捕獲禁止のため、合成されたものが多く用いられる。女性を魅了するフェロモンの香りと言われる。ムスクのこと。 |
鬱金 | 熱帯アジア原産のショウガ科の多年草。根茎は黄色染料、香料に、また止血、健胃の薬用とする。古くから栽培され、日本でも九州の一部と沖縄に自生する。土臭い香りがする。ターメリックのこと。 |
このほか、練香の原料としては次のようなものが使われています。
没薬
カンラン科の没薬樹の樹脂。麝香に似た香りを持つ。ミルラのこと。
竜脳
フタバガキ科常緑樹の心材部分にある結晶。強くさわやかな香り。現在は樟脳で代用される。防虫香に不可欠。
桂皮
クスノキ科の熱帯性常緑樹の樹皮。スパイシーで甘みのある香り。シナモンのこと。
大茴香
モクレン科の常緑樹の果実。甘い香り。スターアニスのこと。
霊陵香
サクラソウ科の草を乾燥させたもの。
竜涎香
マッコウクジラの胃腸内に生じた結石のようなもの。現在はワシントン条約により合成品がほとんど。
薫物づくりの敵はカビで、湿気は禁物です。乾燥も嫌いますので薫物づくりに適した時期は春や秋が良いとされています。
1.材料の入手
現在、香を扱っている老舗では「練り香づくりセット」を販売していますので、これを買ってしまうのが一番早いのは確かです。だいたい8千円から1万円くらいのセットが多いようです。まず基本としてこのセットを購入し、あとは好きな香料を買い足して、増量するも良いでしょう。
上記の表を見ればわかるように、基本は沈香+丁子+甲香です。まずこの3種で挑戦するのも得策かもしれませんね。
2.その他の材料
蜂蜜、純米酒、梅酢、炭粉(粉末状の炭)。これらは全体を、まとめる「つなぎ」です。蜂蜜は本来は「甘蔓(あまづら)」なのですが、収穫されていないので蜂蜜が用いられます。混ぜ物のない「純粋はちみつ」を使いましょう。炭は、香を焚く時に火の熱を伝えるつなぎとして機能します。本来は煤を使うのですが、採集が大変なので一般的には木炭の粉です。水気は一切使いません。水気があるとすぐにカビてしまいます。
3.道具
精密なはかり、計量スプーン、カップ、薬研(やげん)、乳鉢、乳棒、熟成のための蓋付き壺。必須なのは乳鉢と乳棒です。
4・制作手順
基本的にすべてを粉にして、「つなぎ」と混ぜ合わせ、丸薬状に丸めて熟成保存する、ということになります。
すべての香料を乳鉢で粉末にしましたら、次に練り液を作ります。蜂蜜8、純米酒16、梅酢4の割合で混ぜ合わせます。沈香+丁子+甲香をこの練り液で練り、そこに炭粉と、基本3種以外の香料を振り混ぜ、さらに乳棒で空気を抜くようによく混ぜます。
練り上げて適度な堅さになりましたら、直径8ミリ程度に丸めます。
これを壺に入れて密封し、半年熟成させます。1年寝かせれば完成とされます。
5.おまけ
道具はすべてティッシュで拭き取りますが、そのティッシュをまとめて袋に入れますと、素敵な「匂い袋」になります。タンスに入れても良いでしょう。
間接熱で加熱することが原則です。煙が立つようでは失敗です。線香と違って煙が立たないので、焦げ臭くなく芳香だけが漂うのが練香の良いところでなのす。香炉で焚くのが一番良いのですが、炭団の扱いなどがなかなか難しいので、一番お勧めするのがアロマポットです。「梅ざら」という磁器製の小さな器具を買って、その上に練香を置き、ストーブの上に置くのも良いでしょう。
さらに簡単なのが電子蚊取り器です。昔のマット式の蚊取り器の、鉄板部分に練香を置いて加熱しますと、見事に芳香を発します。部屋中に芳しい香りが満ちること請け合いです。 木造家屋の場合は、柱や壁に芳香が移り、常に芳しい部屋になりますよ。
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あらゆる香関係商品。練香原料も扱っています。長川仁三郎商店の「お香スプレー」は八條おすすめ商品です。
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